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明日、笑う


 私が死んだのは秋口のとても天気のいい日だった。空は晴れ渡り雲も無く鳥がさえずっていた。死ぬには不似合いなほど爽やかで幸せに満ちた日であったろ う。私は愛犬のシロの散歩をてくてくとしていた。散歩は近所の巡回コースを巡る。例のごとくあちこちにオシッコをかけて歩く、何箇所も引っ掛けていく、電 柱、雑木、標識に廃車となったクラウンにも、後ろ足を上げてこれでもかと高い位置にそれを引っ掛ける、それがシロの日課だ。そんな中、シロは近所の友人、 いや友犬のジョリーの姿を見ると一目散で走って行こうとした。当然リードを持った私も引っ張られるわけでそこで足を出そうとした瞬間解けていた靴紐に引っ かかりそのまましたたかに頭を地面に強打した。打ち所が悪かったのが致命傷となりそのままそこで絶命したらしい。

  私はと言えば頭を撃った瞬間に肉体から魂が抜けたようにすーっと自分の身体から離れてそこへ立っていた。私が共に過ごした三十有余年の肉体は私という魂が 抜け出る瞬間に「ああ良かった」と安堵の言葉をあげていた。それは紛れもなく肉体の最後の言葉であった。酒の呑みすぎで肝硬変、もしくは胃炎一歩手前の肉 体はその症状の表れる前に死に絶えることとなったことに安堵していたらしい。おいおい主人を置いて先に行くとは何事だなどと今更言ってみたところでどうに もならないのが判っているだけにもっともっと小言を言いたくなった。

 どうやら私の倒れているのを見つけて近所中からいろんな人が出てき たらしい。私の肉体を取り巻き「大丈夫」とか「息している?」とか「動かしちゃダメじゃないの?」などと意外と呑気に言っている。誰も彼ももさほど心配そ うではなくむしろ迷惑そうだったのが残念だった。あれほど笑顔で挨拶もして近所の奉仕作業まですすんで行ったのに意外と冷たいものだ、もう笑顔で挨拶なぞ するものか。
 そうこうしているうちに救急車が到着し私の元所有物であった肉体は救急車から出てきた連中によって見事な連携プレーで車内に運び入 れられた。駆けつけた隣のおばさんを同乗者として連れていきそのまま走り去ってしまった。私は待ってくれと差し出した手を下ろすでもなくブラブラさせて最 後には手を振っていた、バイバイ。

 残された私はこれからどうしようかと考えていたものの飼い犬に引っ張られしかも足を引っ掛け倒れて死 ぬなんてと思うとなかなか情けなくなっていた。まさか人生の最後がこんな終わり方というのか、これでは救われないではないか。最後はカッコよく誰かの犠牲 になって銃弾に撃たれるとか誰かをかばってトラックにでも轢かれるとか、もしくは畳の上で孫にでも見取られながらまっとうな死に方をしたかったものであ る。まぁ人生とはこんなものなのかもしれない、劇的な最後では無く情けない死に方もあるということだろうか。

 近所の奥さん連中は何事か いろいろ話していたが徐々に各々の家に帰り最後に残されたのは私と犬のシロだけになった、家には誰もいないので現場には誰も家族の姿は見えずシロも誰にも 気づかれずその場にいた。驚いたことにシロは私が見えるらしく魂だけとなった私を見つめ生きていたときと同じように喉を鳴らして擦り寄ってきた。どうやら 散歩を続けて欲しいようだった。そんなシロを撫でてみたが感触はあるものの何か風に撫でられているようなそんな感じのようであった。シロも首を傾げもっと 撫でろと言っている、諦めろ、シロ。散歩を続けるのもなんだか気が引けるのでとりあえず自宅に戻った。シロはまだ散歩が足りないのか自宅に戻ろうとしたら 私の手を振り払って逃げ出していた。まぁいつもの事だし夜には帰るだろう。大体今はシロの心配よりも自分の心配だ。

 ふと思い出せばよくある話に死ぬときにその本人が家族の前に現れたりするらしいではないか、死んだ時間に私のところに現れましたなどとテレビではさも当 然のようにそのシーンを話している体験者がいたりする。そうそう、それが定番と私もとりあえず妻のところへ向かうことにした。が、困ったことにどうやって 妻のもとへ行けばいいのか皆目見当も付かない。はてここから歩いていくのも遠い、かといって消えたり出たりなんて方法も知らないし幽霊ってのぁ誰がその消 え方とか出方を教えてくれるのかほとほと疑問であった。これならもうちょっと心霊物の本でも読んでよく予習しておけば良かったなどと後悔した。まぁ死んで しまったわけでこれからどうなるのかも見当もつかない、とりあえずふわふわした体を支えながら妻の勤める隣町まで行きそうな車を探して屋根に(勝手に)乗 せて貰った。

 どうやら物理的に物に触ったり出来るようだけど力が全然入らない、何か空気とほと んど変わらないくらいみたいだった。車の上に乗っていても風を受けるもののそれに飛ばされそうになったりすることも無く安定して乗っていられた。なにかふ わふわする感じがとても新鮮でちょっと飛び上がれば何メートルも飛んで行けそうだった。幽霊が漂っているのはそういうわけなんだなぁなどと感心した。とり あえず車が信号で止まったりしているところに飛び移りながらやっと妻の会社へたどり着くことが出来た。会社には着いたものの中に入れない、ドアを開ことが 出来ないでは無いか。またまた困ってしまった。物理的に何かに触れるのだから簡単にすり抜けることは出来ない。ところがドアを開くだけの力も無く自動ドア も反応しない、またもや困って立ちつくしかなかった。そこへ社員か客か判らない男性がドアを開く人がいたのですかさずお供した。彼の背中にぴたりと張りつ きながらドアの向こうへやっと入ることが出来た。ところがやっとの思いで入ったドアの向こうに妻の姿は無かった、ひとまず一周事務所を見て廻りはしたもの のどこにもいない。そんなとき先程の男性が別の男性に妻のことを聞いていた。別の男性は
「ああ、何か家族の方が怪我されて病院へ行きましたよ」
と 答えていた。なるほど時計を見るとすでに私が死んで一時間ほどかかっていたことにふと気が付いた。さすがに一時間もあれば病院から連絡も来ていることだろ う、妻は既に病院へ向かったらしい。しかしほとほと間の悪いことだ。もう家族も親類も集まっているころだろうか。肝心の私を残して皆病院で噂話をしている ことだろう。まだ死んだ原因が飼犬に引かれ足をつっかえて転んで死んだ事は知らないだろう、これは知られたくない事実だなとぼんやり考えていた。救急の病 院はこの市内にもいくつもある、いくつもある病院をいくつもいくつも捜し歩く気も無く私はただただぼんやりするしかなかった。

 どれくら い経っただろうか、結局妻の勤める会社の玄関前で座り込み道行く人を眺めていた。歩いている人のほとんどは私と視線を合わせることも無く幽霊の存在など気 が付かないようだった。時々は私の存在が判るのかこちらをじっと見つめる人もいたがすぐさま視線を外しそそくさと来た道を戻っていった。所謂霊感が強い人 なんだろう、多分噂好きな人ならあの会社の前に幽霊がいるのよぉなんて話をしているのかもしれない、まぁ私としてはどうでもいいことなんだろうけど。人が 私のことを全然見えなかったり怪しいモノノケのように見たりするのと対照的に犬や猫には普通に私が見えているらしく、擦り寄ってくるものや餌をねだるもの もいた。動物というものは本当に人と違う感覚を持っているものだ、これから先なにがあるかわからないが野良犬とでも仲良くなっておこうと思った。その頃に は町並みは綺麗な夕焼けになっていた、その夕陽を見ながら出来ればコーギーでも欲しいものだと無理な願いを西陽に向かって呟いていた。

 ほとほと嫌気がさしてきたものの本人は死んでいるわけでいつまでもここにいても仕方ないと軽い腰を上げて帰ることにした。どうやら何時間経っても腹も空 かなければ疲れもしない、食べる楽しさが無いのは残念であるが肉体が代謝していないのだからその必要も無いのだろう。時間に追われるわけではないしどこか へ行く目的も無い、強いて言えば肉体がそろそろ自宅に戻り友人知人がお見舞いに来始めているのだからその様子を見るくらいか。そう思い家へ向けてのんびり とした歩調で歩き始めた。陽はすっかり落ち星が瞬き始めている。人は死ぬと星になると子供の頃に聞いたがまさか死んでからも地平から星を眺めることになる とは思いも拠らなかった、さらに幽霊でありながらただ歩くしかない自分も情けなかった。この先どうなるのやらはてさて・・・

  あちこちに道草し、普段通らない道を歩き犬猫に後を追われて自宅に着いたのはそれから二時間後だった。自宅では何人も次から次へと知った顔が尋ねて来てい た。ひっきりなしに人が来るのでドアは開いていた。お隣さんたちも親切に接待やお茶入れをしてくれていたのがとても嬉しかった、さっきは悪態付いて申し訳 無いと話し掛けたが案の定反応は無かった。

 部屋は座る場所も無いほどであった、ただでさえ普段散らかしているのだから仕方ない、妻も大慌てで片付けたことだろう。多分散らかしていたものは私の仕事部屋へ放り込んでいるに違いない、散々たる状況を想像しながら肝心の妻を捜した。

  妻は一番奥でがっくりしていた。珍しいこともある、さすがに主人が死んだのは応えたらしい。そばには義母さんがいて手を取り合って慰めていた。涙も枯れた というのはあのような顔なんだろう、可哀相に。しかしまさか死んだ当人が目の前にいて自分の泣き顔を見ているなどとは夢にも思っていないはずだ。妻に言葉 をかけたが私の声は届かないようだった仕方が無いので彼女の頭を撫でた、何度でも何度でも撫でた。彼女のストレートの髪はその度に揺れときどき空を見るよ うに私の方を眺めた。

 棺の方には何人も友人達が来てくれていた。同じ町内に住む悪友達だがありがたいものだ。こうしてわざわざ来てくれ るだけでありがたい、私もおまえ達の死に目には必ず行くよと根拠の無いことを考えながら友人達と過ごした時間を思い出した。死んでから懐かしんでも仕方な いしそれは感傷でしかないが何故か笑ってしまった。いよいよ同級生でも死人が出る頃なのだろうか、そしてその最初の一人が自分だと思うと笑わずにはいられ なかった。最高の喜劇は最悪の悲劇、そんな先人の言葉がよぎった。自分はその喜劇の主役でありながら傍観者でもあった、本当の主役は棺の中で呑気に死んで いるあの肉体でしかない、やっと精神から開放されて喜んでいるヤツなのだ、ああこんなことならもっと酒呑んで苦しませてやればよかった、残念なことをし た。そう考えて棺の中の肉体を一瞥した。ヤツはそれを知ってか含み笑いまで浮かべている、最後まで気に障るヤツだ。

 妻は相変わらず ショックで参っている、私もいい加減自分の肉体の崇められるのを見るに忍びないので部屋から出た。これといって行く当ては無かったのでシロを探した。脱走 したシロも夜には腹が減って自然と帰っている、今は雀の額ほどの我が家の庭の一角で佇んでいた。沢山の知らない人が来ていてびっくりしている様子だったが 私を見つけると喉を鳴らして近寄ってきた。その顔はいつものように頭を撫でろと言っている。私は妻にしたように何度も何度もシロの頭を撫でた、もしかした らこれから先はおまえだけが友達かもしれないなぁなどと頭によぎったりもした。さっきは野良犬やらコーギーが欲しいなどと思ったことをちょっとだけ後悔し シロの頭をいつまでも撫でた。

 玄関先で一人雰囲気の違う男がいた、最初は葬儀屋の人かと思ったが彼はしっかり私を見つけると頷いた、それを見て私も頷いた。彼は笑顔で私に向かい挨拶 をした、今度はちゃんと頭を下げ丁寧にお辞儀をしていた。どうやら彼は私が見えているらしい。確かな足取りで、確かな足音を立て、確かな視線でこちらに確 実に近づいてきた。どうやら他の人にも彼の姿は見えていないらしい、私と同じく此の世のモノでは無いらしい。

「お迎えに参りました。」
「私をですか?」
「そうです。」
彼は落ち着いた声で話を続けた。
「貴方をお連れしなければなりません。」
「何処へですか?」
「無に還るのです。」
「無?」
「精神と肉体は常に一つです、貴方の肉体は死に絶えましたがいまだ現世に留まっています。明後日、貴方の肉体は火に焼かれます。肉体を失えば今のように現世に留まることは出来ません。肉体が此の世から消えるに伴って今の貴方も消え去ります。」
「つまり肉体が焼かれれば私も消え去る?そういうことですか?」
「はい。」
「なるほど、どうりで私と同じように漂うモノがいないわけだ。」
私は現世に未練は無かったがすぐ無に還るのはいただけないと考えた。もう少しこの状態を楽しみたいと思っていたのだ。
「今のような状態で現世に留まることは出来ないのですか?」
「例外として現世に留まるものもおります。肉体がみつからず現世に残っているものは自縛霊としてその場に留まります。肉体が完全に消え去るまで彼らは漂い続けるのです。」
「なるほど」
「もう一つは他の肉体へ乗り移る方法です。」
「他の肉体?」
「はい、所謂現世で言うところの憑くというものです。」
「幽霊が憑くってこと?」
「はい、ただしヒトである必要はありません、どんな動物でも憑くことは出来ます。」
「憑くのか・・・・」
「ヒトに憑くのはとても大変なことです、一つの肉体に二つの精神が宿りますから、ヒトの精神力は非常に強力です。追い出されることもありますから。」
「追い出され肉体の無い状態が続くと徐々に消えていきます、そういうものです。」
そう言うと男はニコリと笑った。
「中には飼い犬に憑いたものもおりますよ。」
「飼い犬ねぇ。」
犬 と一緒に暮らすのも私の性に合わないがシロの肉体に憑くのもいいものかもしれない、そう考えるといろいろな動物やら爬虫類やら鳥類やら昆虫たちの顔が頭に よぎって来た。おいおい何かに取り憑く気なのか。頭を振って考え直したとりあえず方法くらいは聞いておいて損は無いだろうと思い彼に質問した。
「どうやったら取り憑けるのですか?」
「難しいことではありません、無理やり相手の体に入るのです、力任せに。」
「入る?力任せに?」
「寝ているときが入りやすいですよ、精神も寝ていますから。」
「なるほど」
「私は貴方をお迎えに来ましたがそれは強制ではありません、死んでいるとはいえ貴方の人生です。お好きなようにしてください。期日は明後日です、肉体が滅びれば徐々に消えていきます。何もしなければ貴方は明後日の今ごろ消滅しています。どうぞお覚悟を決めてください。」
「判りました、どうするか考えてみます。」
「どうぞご考慮くださいませ、私はこれにて失礼いたします。どうぞお体に気を付けてよい決断をしてくださいませ。」
体が無いのに体に気を付けてか、なんだかな。
「万物流転、色即是空、空即是色、一切是空、一切是空・・・・・一切是空也。」
男は何事か唱えるように言葉を発すると足先から透明になり徐々に消えていってしまった
私に残された時間はまる二日、日が昇り日が暮れてまた日が昇りそしてまた日が暮れる頃には消えてしまう、なんてこった。

  死ぬときはあっけないものだがこれから二日でその後を決めるというのもなかなか酷なことでは無いか。二度別れをしなければならないなんて残酷も甚だしい。 どうなってやがる。段々と冷静さを取り戻しつつも今後どうするか決めかねていた。外は昨日と同じく満天の空で欠け始めていた月が輝いている、少し風も冷た く秋の空気に満ちていた。

 お見舞いの人達が徐々に帰り始めたときだった、その中で本家のおばちゃんを見つけた。本家のおばちゃんは今年六十歳、霊感があってよく幽霊が見えるなん て話をしている変わり者で親戚連中からも変人扱いされている。こりゃいい機会、渡りに舟、噂をすればなんとやらの至れり尽くせりだとばかりにおばちゃんを 追いかけ話し掛けた。「おばちゃん、おばちゃん、聞える?」
おばちゃん振り返ると私を一瞥した。そして一言
「ああ、何にも聞えないねぇ、何にも見えない」
わざと顔を私の方に向け耳元で大きな声でしゃべった。
くぉー、このばばぁ、完全に見えていて、聞こえているのに無視してやがる!
「あたしゃ呆けてきてるからねぇ、何にも聞えねぇなぁ~。」
おいおい可愛い親類が困っているのにそりゃ無いでしょ。
「おばちゃん、見えてるんでしょ?話を聞いてよ。」
「ああ、仕方ないね、彼の世のモノと話す趣味は無いんだよ、仕方ないねぇ、仕方ないねぇ、ねぇ」
さも面倒そうにおばちゃんはこちらに相対した。言葉は刺々しいが口元は薄い笑いを浮かべ意外と楽しそうだった。
「まぁここじゃ皆さんの視線もあっからよ、家さ来い。」
そういうとおばちゃんは自転車に乗って自宅へ向かった。私もそれに付いて後ろからおばちゃんの自転車を追いかけた。
  おばちゃんは昔から健脚だった六十歳だというのに軽がると自転車をこいで走っていく、本家の人達も来ていたにも関わらず自転車で見舞いに来るということ自 体がかなりの変わり者を証明していたし私と逢うことすら予見していたのかもしれない。そうこちらが感じさせるほどおばちゃんは不可解で謎めいていて魔法使 いのようでやっぱり変人だった。
「あんた、今あたしのコト変人だって言ったね、彼の世のモノだって判るンだよ、まったくもう困ったもんだねぇ、まったく。」
こりゃまたどうも、老後が心配なばあちゃんだ、あんまりツッこまないようにしよう、私はそう思った。

  しばらく行くと本家が見えてきた、おばちゃんは自分の部屋へ私を招き入れた。部屋の中にはちゃぶ台と桐箪笥、その他の雑多なものが見苦しくない程度に部屋 中に置かれていた。「紅葉の奥入瀬」とか「紅葉狩りの何とか」旅行のパンフレットが何冊もちゃぶ台の上にあった。しかも値段の安いツアーのところに付箋が 付けてあるところがいかにもおばちゃんらしかった。
となりの部屋で喪服を着替えてきたおばちゃんはおもむろにお茶を出して私に飲むかと聞いてきた。私はそれが飲めるのかどうかわからなかったがせっかくだからそれを飲んでみようと手を出したが湯のみを掴むことも出来ずただ飲む動作だけはしてみた。
「なんだい、あんたは成仏出来ないのかい?何やってんだい幽霊失格だなぁ、こりゃ。ははははっ」
相変わらずの毒舌であるが不思議と憎めない
「おばちゃん、そりゃ無いでしょ、こっちだって突然こんなんになって困ってるんだからさ。」
「そう言ったってあたしにゃ何も力になれないよ。」
「まぁそりゃそうなんだけどさ」
「困ったねぇ本家にゃ幽霊が居座ってるなんてうわさ立てられちゃうよ。」
いつの間に出したのやら煎餅を頬張りながら嘆いていた。
「まぁまぁいいじゃないの、葬式までだからさ、相談に乗ってよ。」
「なんだい葬式までってのは?」
「葬式の後、あの棺ごと体が燃やされると消えるらしいよ。」
「なんだい、じゃぁ成仏出来るんじゃないか、そうなら早くいいなよ、あーナンマイダ、ナンマイダ。いや違ったなおまえさんのところは南無釈迦牟尼佛だったな。」
「何でもいいよ、ほっとけば消えるかけど、誰かに取り憑けばまだ此の世にいられるらしいんだよ、出来ればもうちょっといたいからさ。」
「取り憑くのかい、ヤダヨあたしは。あんたみたいなバカと一緒に過ごすんじゃ楽しい老後は送れないからねぇ。」
「おばちゃん、こっちだって選ぶ権利があるよぉ、おばちゃんよりは綺麗な女の人に憑くよ。」
「まぁそりゃそうだなぁ、ははははっ。」
入れ歯にも関わらず煎餅を食べるおばちゃんは後光が射しているようだった、いや射しているような錯覚を覚えるほど神々しい感じさえした。いやはやなんともである。
「でどうするのさ、女の人にでも憑くのかい?当てはあるんかい?」
「そんなのあるわけ無いじゃん、それに人に憑くのは大変らしいよ。」
「大変なのかい、まぁ死んでみなけりゃ判んないからねぇ、わたしゃあと百年くらいは生きる予定だから当分わからんねぇ。」
「おばちゃん、あと百年って、百六十まで生きるきかい、世間を考えてやってよ。」
「死人に心配される言われは無いよ、わたしゃそれくらい生きるのさ。」
「ああ、はいはい。」
「あんた、とりあえず成仏しときな、此の世にいても仕方ないだろうよ、花の一本、線香の一本くらいはあげてやっから心配するな。」
「そうかぁ、まぁたいした未練も無いしな、一度死んだ身だからさ、次も同じようなもんかな?」
結局この後もたいした話は出来なかった、おばちゃんは幽霊ってどんな感じだい、などと呑気に質問していたが私は消えることを考えると上の空で答えるだけだった。いよいよ自分が無に還るのかと思うと悲しくなっていた。

 結局朝陽が登る頃自宅帰ってきた。妻や両親、義理の母などは泣き疲れた様子ではあったがそれでも昨日よりは元気そうだった。私はといえば相変わらずする ことも無く庭を漂っていた。疲れきった妻ではあったが手続きがあるのだろういろいろな書類や証明書が必要らしく葬儀の準備にもかかわらず部屋中を探してい るらしい。そういえば私は突然死んだから大切な書類や証書の類がどこへしまったか判らないのかもしれない。自慢で は無いが私は物の整理が全然出来無い人間だ、妻も同様で二人して大切なものをしまい忘れている。妻は熱中するとそれしか目に入らない性分なので葬儀の準備 よりも書類探しに熱中し始めているのが傍目にも判った。まぁその間は悲しいことも忘れているからいいことかもしれない。
生命保険の証書や印鑑を探 しているのだろうが一番気を揉んだのは私が隠してきた手紙やら写真やらがそれに伴って出てきてしまうことだった、まぁいつかは出てくるのだろうけど出来れ ばもっと後にして欲しいものだ。私は彼女のすぐ後ろに立ちそれは違う、それじゃない、ああその奥・・・などと一人言を言っている。もちろん彼女に聞こえて いるわけでも無くイライラしてきたりするわけだが死んでいるからそれ以上のことは出来なかった。そうこうしているうちに結局彼女はわたしが昔貰ったラブ レータを発見し隠していた秘密の写真を掘り当てた。まるで前世紀の恐竜の骨を発掘するように掘り当てた彼女はその手紙や写真を見ていたく驚いたもののすぐ に含み笑いを始めた。そして誰に聞かせるでもなく声を出して呟いた
「あなたも遊んでいたのね、ふふふ・・・・」
そう一言だけ言った。そ れっきりその手紙と写真はゴミとして葬り去られた。隣でそれを見ていた私はほっと胸を撫で下ろし死んでいてよかったと見当違いな解釈をしていた。これから 携帯電話の履歴やメール、パソコンの中や物置の奥から彼女の知らない私が沢山顔を出すことだろう、だが今のように笑い飛ばせる妻であって欲しいと願った。 そうでなければ墓にまで来て延々と愚痴を言われそうで怖かった。死んでまで恐妻家と言われるのも男としてちょっと情けない。

 その夜、 私の通夜がしめやかに行われた。いい働き盛りの男が転んで死んでしまったのだから悲しいやら楽しいやらなんだろうが実際は突然突きつけられた死に驚き悲し んでいるものばかりであった。バカなヤツだなと言っているのは悪友達だけだったがその目はかすかに涙が滲んでいた。
 人は自分の一生で大きな二つ の節目には立ち会えないそうだ、一つは誕生、もう一つは死である。誕生は自分の記憶がまだ無い時代の事、そして当然死はもはや自分の存在が無い世界だ。そ の自分が存在しなくなる一瞬からの様子を私はつぶさに見てきた。悲しいがそれは一種の通過儀礼のようなもの、過ぎてしまえばすぐに忘れるのだろう。自分の 通夜を見てもそんな感想しか無かった。ゆっくりと通夜の会場を歩き回り参列者を見て回った。懐かしい顔、いつも見る顔、遠くの親戚、近くの友人、知人。こ んな顔ぶれは結婚式以来だな、などと呟いてみた。ご苦労様、わざわざ私のためにありがとう、ありがとう、ありがとう。

 友人や知人もあらかた帰って行った、中には逢いたくないものもいたが死んでしまえばそんなこだわりも無いのかもしれない、そう思うとひとりの名前が浮か んできた。トモコだった。いわゆるひねくれて絡み合った別れ方をして幾年月にもなる、それから一度も連絡も取らず逢いもしなかった。意地になって連絡しな かった、意地になって逢わなかった、だから意地になって結婚した。時間がそのひねくれたこだわりと意地を消し去っ てくれるまで逢わないと心に誓っていた、でも今は死んでしまった、私は此の世のモノではない、彼岸の者だ。ある意味時間は味方となったけどそれだけだっ た、今はこうして漂っているが明日、肉体が焼かれれば無に還るしかない、そう思うと生きているときよりも切実な問題だった。切実な問題は他にもありそうな ものだが思い立ってしまったのだから仕方ない、もともとの気まぐれが死んでからも出てきたらしい。そう思ったものの今現在トモコがどこにいるのか私は知ら ない。まだ引越しをしていなければあのアパートに住んでいるはずだ、とりあえずそのアパートへ向かうことにした。例のごとく車に便乗して向かおう。歩くよ りましだ。
 トモコのアパートへは夜中の一時くらいに着いた。郵便受けを見るとどうやらまだ住んでいるらしい。玄関の前まで来て私は戸惑った。今 は一応幽霊である、実体は無い、さらに幽霊であるから怖がられるかもしれない、いやそもそもトモコは私を見ることが出来るのかどうかも怪しい、いやいやそ もそも追い返されたらどうする、うーん。幽霊になっても女の家の玄関先で悩むとは情けない、ここは勢いで行くしかない。そう思いありったけの力でドアを叩 いた。多分風がドアを叩いているようなそれくらいの音だったろう、これでは全然わからない。仕方無いので表に回り窓ガラスを叩いた、こちらの方が大きな音 が出ている、何度も何度もガラス窓を叩くとトモコは気が付いたらしい。ゆっくりと用心しながらガラス窓に近づいて来てゆっくりと窓ガラスを開けた。私は何 年かぶりに相対したトモコに眼を合わせた、トモコは歳相応に、あの頃よりも大人の顔になっていた。それでもころころ変る愛敬ある素顔は全然変っていなかっ たのが嬉しかった。窓から顔を出したトモコは何も見えないようで空を睨んでいた。私は手を伸ばしてトモコの頭を撫でた、何度も撫でた。トモコは何かが頭を 撫でていることにちょっと驚いた表情であったがそれ以上に身構えたりはせず身を任せている。
 私はトモコに囁いた、それは多分彼女には聴こえない ものだったかもしれない、でも私は今生の別れとして彼女に囁いた。今でも貴女を好きだった、別れても、結婚しても貴女を好きだった、そう囁いた。トモコは 聴こえてはいないのだろけど突然涙を浮かべた。私にはトモコの気持ちは判らない、でも涙を浮かべた姿だけで十分だった。言葉や私の気持ちが伝わったとは思 えないがそれで十分だ。さよなら、本当にさよなら、そう言って私はトモコのアパートから去った。トモコはいつまでも窓から外の空を眺めていた。まるで私が 見えているように。

 月夜を浴びて歩いて自宅まで帰ってきた。やはりというか当然というか疲れもしなければ眠くもならなかった。満天の星 と十六夜の月明かりの中で私はすでに此の世のモノでは無かった。そう半分は彼岸へ足を入れた幽霊である、いつまでこの半端な状態かわからないが十六夜の月 は同じくこの世の物とは思えないほど美しく凛々しかった。何時の間にか鼻歌も出てきた。誰にも自分の声が聞こえていないと思うとひたすら大きな声で歌いだ していた、音程も拍もメロディーも関係の無い本当に酷い歌だったろう、さぞや犬達の不評をかったことは間違い無かったろう。「フライ・ミー・トゥー・ザ・ ムーン」を歌い「月がとっても青いから」を歌い最後に「帰ってきた酔っ払い」を歌った、英語の歌詞などは適当にメチャクチャに歌った。歌いながら悲しく なってきた、「おぉらぁはしんじまっただぁ、おぉらぁはしんじまっただぁ、てんごくにいっただぁ・・・・」段々と涙声になってきた、自分は此の世のモノで は無い、いつか人々は私を忘れ記憶の彼方へ葬り去る、いずれ無に還る、死んでいながらなおこんな心配をしている自分がとても情けなかった。情けないから泣 いた、声を出して泣いた、大の大人が大声で泣いていても誰も気が付かないそんな淋しい夜だった。

 お昼から私の葬儀が始まった。子供の頃卒塔婆でチャンバラをして私を叱った菩提寺の住職が何やら儀式めいたことをしていた。ああ、まさかあの坊さんよりも先に死ぬとは、いい人ほど早く死ぬというから私はよほどいい人だったのだろう、などと勝手に解釈しては頷いていた。 葬儀場には沢山の参列者が来ていた。一人一人とゆっくり話がしたかったがもちろんそんなことは出来なかった。皆神妙な顔つきで中には泣いているものもいた。私のために泣いてくれるとは本当にありがたい。このことは一生忘れないと心に誓った。
  さて私には大きな選択が迫っていた。このまま消え去るのか何かに取り憑くのか、未だ決めざるこの難問にどう対処したらいいものか?自分にとっては一大事で はあったがあまり実感が湧かない、そもそも自分がこうやって死んでしまい幽霊として漂っていること自体釈然としないではないか、私一人がこうやって漂って いるのだろうか、自然界とやらはどうなっているのやら・・・。ブツブツと呟いていると突然後ろから肩を叩かれた。はっとして振り返る顔中皺だらけのおばあ さんが立っていた。齢九十近いであろうか、猫背の背中、腰に手を当てている姿はまさに老人のそれであった。
「何か・・・・・ああ、あなたも私と同じ境遇の人?」
「そうらしいでねぇか、どうぉやらよ、しんずまったみてぇだねぇ。」
おばあちゃんはにこやかな笑顔をこちらに向けて目を細めて話していた。
「おめえさんもしんずまっただだか?、若ぇのに可愛そうに。」
「はぁ、まぁそんなところで・・・」
「おらはもう長生きしたからよ、このまま消えっかなぁと思うってよ、もうすぐおらの葬式もはじまるでそれ見て消えっかなと。」
「そうですか、そりゃまた難儀な、ああいえいえ、踏んだり蹴ったりで・・・・ああ、違ったな、えーっとなんと答えていいのやら・・・。」
「ははははっぁ、おめえさんおもしれぇなぁ。、もうすぐおめぇさんも消えるんかい?」
「私はまだ決めかねてます、どうしたものか・・・。」
「そっかぁ、まぁ何にしてもいつかは消えるんだからなぇ、はええかおせええかの違いだなぁ。」
「はぁ。」
「まぁ達者に暮らせやぁ。」
そう言うとおばあちゃんはさっさと隣の会場へ消えていった。

「あなたもお亡くなりになったのですが。」
えっと声の方を振り向くと気の良さそうな中年の男が立っていた。
「いえねぇ、私もこの間死にまして、まぁなんですかな、私は人に刺されましてねぇ。」
「はぁ、なぜに刺されたのですか?」
「いやぁこれがお恥ずかしいのですが愛人の旦那に刺されました、はははっ。まぁ自業自得ですなぁ。」
中年男性は話を続けた。
「実は私、まだ消えたくないもので取り憑いてやろうと思いましねぇ、その旦那に取り憑いたんですよ。」
「はぁ、それでどうなりました?」
「ところがですね、この旦那が全然霊感が無いのかまるっきり無反応で驚かすつもりが肩透かしでしてなぁ、張り合いも何も無くて。ついでに留置所暮らしでしょ、これが詰まらん詰まらん、嫌になって出てきましたよ。はははっ。」
「そんなもんなんですかねぇ、取り憑くって。」
「まぁ生きていても死んでいても同じじゃないですかなぁ、どうもこの刺されたという話を誰かにしたくて漂ってました。私も消えるとします、張り合いの人生でしたが足りないくらいが丁度良いのでしょうからなぁ。」
そ う言うと男性もどこかへ消えていってしまった。驚いたことにこの葬儀の間に入れ替わり立ち代りいろんな幽霊が来ては私と話をしていき去っていった。ここは 彼の世と此の世の境目なのかもしれない。誰も彼もが死を受け止めているのが印象的だった。まだ現世に未練のあるものもいるだろうけどそれはごく少数のよう だ、まして私のように最後まで悩むものはいないらしい、ああ、これならそのまま消えてしまおうか。

 そうこうしているうちに葬儀も終わった、親族、喪主の挨拶もよれよれの妻がなんとかこなして滞りなく終わったようだった。私は棺の上に胡座をかき彼女の 挨拶を上の空で聞いていた。このまま葬儀場を離れ火葬場で焼かれて終わりである、人生とはいかに果かないものであろうか。さらば私、今度は長生きしたいも のだ。火葬場ではさきほどのおばあちゃんもいた。その姿は徐々に薄くなり消えていった。最後に私に向かい
「達者でなぁ。」
そう言うと完全に消えてしまった。達者ねぇ、これから消えるから達者も何もないだろうに。
 本家のおばちゃんも私の最後の姿を見ていた、近づいてきては
「まぁ、また生まれ変わってこいや。」
そう言うと含み笑いを浮かべ参列者の中に消えていった。相変わらずの性格だ、家族が大変だろうに・・・。
 いよいよ私の肉体が釜に入れられて行った。アイツは相変わらずニヤケタ笑い顔をし、無に還るのを喜んでいるらしい。フザケタヤツメ。
  釜の扉が閉められた。どうやら火が入り最後の瞬間のようだ。私の体も徐々に薄くなってきた。その消えていく自分の体を見ているうちにとてつもない恐怖が 襲ってきた。まだ、まだ消えたくない、まだ消えたくないのだ。そう思った瞬間火葬場を飛び出していた。飛び出した先、建物の向こう側には見事な晴天の中、 煙突があった。煙突は白い煙を上げている、あの煙は私の肉体の一部であろうに、恐怖に襲われながらも私はその煙をただ眺めるしかなかった。

完 全に体が消える直前、目の前を一匹のトノサマガエルが横切った、私は無我夢中でそのトノサマガエルに飛びつき取り憑こうとした。カエルの背中に触れた瞬間 体は一瞬に消え去り吸い込まれるようにカエルの中に入っていった。体がグニャリと曲がり軽い眩暈が起こった、閉じていた目を開くとそこはもはや私の見てい る風景は幽霊のそれとは異なっていた。それはカエルの視線である、そうカエルそのもものであった、私はカエルに取り憑いてしまったのだ。いくら気が動転し ていたにしてもカエルである、トノサマガエル、アマガエル、ウシガエル・・・ゲロゲロ鳴くその愚鈍なる生き物だ。ああ失敗した、失敗したぁそう悔やんでい るうちに頭の中が霞のように膜がかかってきたようになった。どうやら思考力が下がっているらしい、もう何も考えることも出来ないどうやら私はカエルに吸収 されてしまったらしい・・・・、何も考えられない、何も、世の中の事も自分の事もそしてヒトのことも彼の世のことも此の世のことも妻の事も・・・・トモコ の事もこれでは消えたことと同じ・・・・もはや私は一匹のカエルでしかない。カエルだ、カエルだ、カエル、カエ、カ・・・・・・どこからかとても懐かしい 声が漂ってきた。それは両親の声であり、妻の声であり、友人達の声でありそしてトモコの声であった。それぞれが囁きあっている、万物流転、色即是空、空即 是色、一切是空、一切是空・・・・・一切是空也。
遠くなる意識の中で一切是空也という言葉が渦巻いていた、いつまでもいつまでも懐かしい声とともに渦舞いていた・・・一切是空也と・・・・・
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amika webmaster,
2008/10/30 7:38
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